「紀伊國屋」と「紀ノ国屋」。
読み方はどちらも「きのくにや」です…。
両方とも「お店」なのですが…読み方は全く同じですし漢字も似てますよね…。
この2つのお店は、どういった関係なのか…。
ということで、このお店の創業の歴史などを含め徹底的に調べてみました!
本記事では、「紀伊國屋」と「紀ノ国屋」の違いと関係性について、わかりやすく解説していきます。
結構深掘りしましたので、どうぞご期待ください!
1.「紀伊國屋」と「紀ノ国屋」の違いと関係!
まずは、結論から端的にお伝えしますね。
この2つは全く異なる業種であり、会社も経営者も異なります。
また、「紀伊國屋」と「紀ノ国屋」の双方には何の関係もありません。
ということです。
それでは、「紀伊國屋」と「紀ノ国屋」双方の歴史について深掘りしていきますね。
2.「紀伊國屋」の歴史と名前の由来とは!
「紀伊國屋」は1927年(昭和2年)に、田辺茂一氏が東京都新宿三丁目に創業したのが始まりの書店です。
ですから、「株式会社紀伊國屋書店」が正式名称。
田辺家では、江戸時代より徳川御三家(尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家)の「紀伊徳川家」に仕えていました。
紀伊徳川家でも、紀伊和歌山藩(現在の和歌山県・三重県)ではなく、田辺家は江戸藩邸に勤めていたのです。
田辺家は、最初は材木問屋として商売を始め、その時に屋号として「紀伊國屋」を出身地にちなんで名づけました。
その後、材木問屋から炭問屋となり、田辺茂一氏が1927年(昭和2年)に書店にしたのです。
炭問屋の敷地があった新宿三丁目の土地を利用して、2階建て38坪の店舗を構え「同人誌」「文芸誌」「文学書」「学術書」などの販売を始めました。
当時の従業員は、田辺茂一氏を含めて全部で5人。
たった5人で始まった、小さな書店だったのですね。
現在は、日本国内あらゆる地域に店舗が存在するとともに、海外にも40店舗以上ありますよ。
従業員数も総勢5,000人を超える規模。
今では、書店の他に「ホール」の運営も手掛けており、演劇や落語などのエンターテインメント会場や各種セミナー会場としても利用されています。
3.「紀ノ国屋」の歴史とは!
「紀ノ国屋」は、1910年(明治43年)に果物屋として東京都青山で創業されました。
そして、1953年(昭和28年)に日本で初めて「レジスター」を導入し、日本初のセルフサービス式のスーパーマーケットとして開業されます。
セルフサービス前の一般的な店舗では、お客さまが店員に希望の商品を伝えると、店員が棚や倉庫から商品を出してきて代金と引き換えに商品を渡すという方式でした。
この形態が現在でも残っているのが、宝石店など高級品を扱うお店ですね。
それが、お客さまが自由に様々な商品を選んで、それをまとめてレジスターに持っていけば店員が清算してくれるという方式に変わったのです。
これが、現在のスーパーマーケットの原型。
ただし、「紀ノ国屋」の商品は全て高級品であったことから、「低価格が売りのスーパーマーケットとは違うのでは?」といった意見が発端となり「日本初のスーパーマーケットではない」という説があるのも事実。
その後、その時代ごとに常に新しいアイデアで先駆的な商品展開を行い、例えばチーズの航空輸送やジュースの自動販売機の設置、高級アイスクリームの販売やパンの製造販売などを行っています。
さらに、現在の「レジ袋」の原型である「ショッピングバッグ(紙袋)」を導入したり、ショッピングカートもいち早く導入しました。
現在の「紀ノ国屋」は、日本各地に40店舗以上、従業員数は1,500名を超えています。
余談ですが、スーパーマーケットの「スーパー」とは、「スーパースター」や「スーパーマン」などと同じ「極上の」とか「凄い」といった意味。
「市場(マーケット)」の中でも「超越した市場」ということで、「スーパーマーケット」と呼ばれるようになりました。
まとめ
以上が、「紀伊國屋」と「紀ノ国屋」の違いと関係性についてでした。
「紀伊國屋」は書店、「紀ノ国屋」は高級スーパーマーケット、どちらも異なる会社です。
つまり、双方には何の関係もありません。
ただし、どちらも「老舗」であり、お互いともに素晴らしい会社に発展していることは共通項ですね。