「講義」と「抗議」。
読み方は、どちらも「こうぎ」です。
似ているようで、「こう」の漢字は全く異なる字。
また、「講義」の「義」と「抗議」の「議」も漢字が違います…。
「ごんべん」が有るか無いかで、何がどのように違うのか…。
ということで、この2つの言葉の意味を徹底的に分析してみましたよ!
それぞれの漢字の意味も調査しました!
本記事では、「講義」と「抗議」の意味の違いと使い分けについて、わかりやすく解説していきます。
かなり深掘りしましたので、ご期待ください!
1.「講義」と「抗議」の意味の違い!
最初に、「講義」と「抗議」の意味の違いを簡潔にお伝えします。
「抗議」とは、正しくないと思われることに対して、反対の意見などを主張すること。
一言で表現すると、こういった違いです。
それでは、さらに詳細に紐解いていきますね。
①「講義」の意味とは!
「講義」は、研究に基づいてまとめられた学問上の考えなどを、わかりやすく話して教えること。
また、大学の授業のことも「講義」といいます。
「抗議」の方は、反対の意見を主張することなので、全く意味が違います。
構成されている漢字の意味を理解するとわかりやすいですよ。
「講義」の「講」は、「話して分からせる」という意味。
「講演」「講習」「講座」の「講」です。
そして、「講義」の「義」は、「意味」「わけ」という意味。
「奥義」「恩義」「主義」の「義」。
つまり、「意味」や「わけ」などを「話して分からせる」ということです。
大学の授業で行われるのは、まさにこういったことですね。
②「抗議」の意味とは!
「抗議」は、正しくないと思われることに対して、反対の意見などを主張すること。
つまり、「これ、おかしいでしょ!」「違法でしょ!」という物事に対し、「そんなことはやめてくれ!」と訴えるのが「抗議」です。
「講義」には無かった、「不当」「不正」「不服」などが前提にあるのが「抗議」。
自分が納得できないために、反対意見を主張するのですね。
「抗議」の方も、漢字の意味を解説していきます。
「抗議」の「抗」は、「さからう」という意味。
「抵抗」「反抗」「抗菌」の「抗」です。
「抗議」の「議」は、「論じ合う」「話し合う」という意味。
「会議」「協議」「審議」の「議」です。
「講義」の「義」とは違い「ごんべん」があるのですが、意味が全く違います。
つまりは、「さからう」ために「話し合う」のが「抗議」。
ただし「抗議」は、厳密には「話し合う」というよりは「主張」です。
「主張」は一方的になる場合もあり、相手は話し合いに応じるとは限りません。
③「講義」と「抗議」の違いを整理!
それでは、ここで一度「講義」と「抗議」の違いを整理します。
書物や学説の意味などを、わかりやすく話して教えることが「講義」。
正しくないと思われることに対して、反対の意見などを主張することが「抗議」。
わかりやすく教えてくれるのが「講義」ですが、「抗議」は反対意見をぶつけます。
意味は全く異なるということ。
2.「講義」と「抗議」の辞書での意味!
続いて、辞書による「講義」と「抗議」の意味がどうなっているのか確認していきます。
①「講義」の辞書での意味!
【講義】
・書物や学説の意味・内容を説き教えること。また、大学の授業。
引用元:旺文社国語辞典
説明したとおりの内容です。
②「抗議」の辞書での意味!
【抗議】
・不当と思われることに対して、反対の意見・要求を申し立てること。また、その反対意見。
引用元:旺文社国語辞典
こちらも、説明どおりですね。
3.「講義」と「抗議」の使い方!
次に、「講義」と「抗議」の使い方を例文で紹介します。
①「講義」の使い方!
・「インボイス制度」について簡潔に税務署の方に講義を頂きました。
・高い見識をお持ちの方などによる講義を受け、自分の将来について考えるキャリア教育。
・「運動性能」の講義の説明で教材として使われた、特殊な自転車の試乗会も行われた。
・学内外の10名の著名な講師による、 合計14の講義が行われました。
②「抗議」の使い方!
・事業に反対する住民らが座り込みの抗議活動を行う。
・全米での抗議デモと暴動が収まらない。
・イランでの抗議活動は、我々がSNSで見ているものよりも規模が大きい。
・抗議行動参加者に行っている過剰な実力行使を直ちに停止すべき。
4.「講義」や「抗議」には似た意味の言葉がたくさんある!
「講義」や「抗議」には似た意味の言葉がたくさんありますよ。
下の関連記事も、覗いてみてください。
ぜひ、参考にしてみてくださいね。
まとめ
以上が、「講義」と「抗議」の意味の違いと使い分けについてでした。
「講義」は、書物や学説の意味などを、わかりやすく話して教えること。
「抗議」は、正しくないと思われることに対して、反対の意見などを主張すること。
「抗議」の出発点は対立関係ですが、「講義」の出発点に対立関係はありません。