故事成語である「馬耳東風」。
四字熟語でもあります。
「馬の耳に東風(春風)が吹いても、馬は何も感じない」ということ。
つまりは、「人の意見などを心にとめず、聞き流してしまう」という意味です。
「何を言っても、少しもききめがない」ということですね。
では、この「馬耳東風」、どのような場面でどのように使うべきなのか?
ということで、「馬耳東風」の使い方を例文で紹介していきます。
特に、簡単な短文でわかりやすく紹介しますので、ご期待ください。
1.「馬耳東風」の例文を簡単な短文で!
・彼は会社を辞めて独立すると言っているが、決意はかたく何を言っても無駄、馬耳東風だった。
・我が社のトップはワンマン社長で、人の意見をほとんど参考にしない、馬耳東風だ。
・また守備のエラーだ…。何度も何度も「捕球の時に腰が高い」と忠告していたのに、全く馬耳東風で改善されることはない…。
・先輩が忠告しているのに、その態度は何だ!そういった馬耳東風な態度をとり続けるならばこっちにも考えがある。
・仕事に取り掛かると、集中するために会話が嫌で返事もしなくなる。馬耳東風なので、何を言っても無駄だよ。
・彼女に何度も説明したのだが、全く馬耳東風だった。でも彼女は外国育ちで日本語がわからなかったという理由がはっきりしてほっとした。馬の耳に念仏だったんだね。
・知事の記者会見で、政治資金問題に関する質問をしたが、全く聞き入れられず馬耳東風だった。
・禁止区域で宴会していたため、すぐに立ち去るよう注意したが、馬耳東風できく耳を持ってくれなかったようだ。
・大統領の記者会見では、何を言われようと馬耳東風を決め込んでいるようだった。
・家賃の滞納が2年も続き、退去を依頼しているにもかかわらず本人は馬耳東風と聞き流す始末。
2.「馬耳東風」の由来とは!
「馬耳東風」の由来は、中国の李白の詩「答王十二寒夜独有懐」
その中に、以下の一説があります。
「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り」
これを、わかりやすくすると。
「世の人たちは詩や歌を聞いても、その意味を理解せず否定し頭を振るだけ。まるで馬の耳に春風が吹いても何も感じないように、世の人たちも何も感じない」
こうなります。
普通の人々は、春風を感じることで暖かくなる春の訪れを喜ぶもの。
しかし、それが馬になると春風が吹いたところで、何も思ったりしません。
そういった何も感じない「馬」を、すぐに否定してしまう人間にたとえたのですね。
ということで、この詩の「馬耳東風」が、人の意見などを全く聞き入れないという意味で使われるようになりました。
まとめ
以上が、「馬耳東風」の例文についてでした。
何を言っても聞き流してしまうのが、「馬耳東風」ですが…。
似た言葉で「馬の耳に念仏」があります。
「あっ、同じ意味か」と思うかもしれませんが、実は違いますよ。
「馬耳東風」は聞き流すのですが、「馬の耳に念仏」は聞き流すのではなく理解できないのです。
似ているようで、微妙に違いますので使う際は気をつけましょう。